先祖供養
先祖供養について
多分皆さんは先祖供養について深く考えたことがあまりないと思います。
人は、この世に生まれそして、やがて必ず死にます。天寿を全うする人、自ら命を絶ってしまう人
ある日突然事故などで命を落としてしまう人、そして、戦争で儚く亡くなってしまう人、
様々な死に方があります。
人はこの世で生きていく中で、生きている自分の事をもしくは、今生きている世の中の人の事を
中心に全てを考え、全てを作っていきます。
科学が進歩するにつれ人々の生活は豊かで楽になりました。
もちろん、世界中広い目で見れば、この恩恵を受けることの出来ない人の数の方が圧倒的に
多いのですがただ、豊かなものや金に満たされた生活が果たして本当に幸せなのかどうか、
わからない事もあります。一ついえることは一度豊かで便利な生活を手に入れるともう二度と
昔に戻ることは、難しいといえます。
先祖供養の考え方は、豊かで便利な価値観を絶対に持ち込んでいけないという所がとても大事なのです。
例えば、最近増えているお墓のマンションや共同墓地等は、あきらかに生きている人の勝手な都合で
考えられ作られているものです。もちろん、色々な条件があってお墓を立てたり自分が望むような
先祖供養が出来ないということもあります。ただ、生活的に豊かであるにもかかわらず
跡継ぎや相続の問題で生きているうちからまるで、ロッカールームのような墓や共同墓地を
申し込んでいる人も多くあります。はたして、本当にそれでいいのだろうか!?
人が死んだらどうなるのかという部分は、太古の昔から誰も解明したことがありませんし
不可能なことです。しかし、当寺の森下永敏ご住職のように仏の声が聞こえたり話が出来る方は
亡くなった仏さんが、あの世でどうしているのかどういう状態なのか少しくらいはわかります。
ただ情けないことに神仏やご先祖さんの事をまったく信じない人は、そういった大切な部分にも
耳を貸しませんし気に掛けることすらありません。むしろ、お話をすると張り切って怒ったりします。
それらも、すべては生きている人の価値観だけで判断をしていることなのです。本当の先祖供養とは
生きている人の価値観をすべて排除し亡くなった仏さんの気持ちだけをひたすら考え抜くところに
先祖供養の真髄があります。世のお坊さんを含め一般の方に至るまでこの倶利加羅不動寺の
先祖供養に対する考え方を共有できるお坊さんやお寺は多分存在しないか、あったとしても
ごく僅かであると確信しております。そこで、様々な方を見ている中でハッキリとわかることが
一つあります。お寺の指導で素直に耳を傾けご先祖の供養をされる方は、不思議とそれまでの
悩みが少しずつ解決していきます。反対にお寺からのアドバイスをすぐお金に結びつけ
高いだの、物売りだのと自分勝手な都合だけで怠っている人に限って絶対に悩みから抜け出す事は
無いのです。ただ、世の中にはたいした先祖供養をしなくても不思議と人生上手くいっている人も
います。しかし、それにはそれなりの理由もあるのです。それは、その人に多大なご先祖の徳が
あるからです。このご先祖の徳が効いている内は色々上手くいきますがしかし、その徳はだんだん
減っていくということも理解する必要もあります。そして、やがて徳が無くなったときには
様々なことが起こり始めます。というような事をこれまでの多くの方の先祖供養をさせて
頂いている中で感じてきたことです。

先祖供養の基本
1.お墓、仏壇がある、もしくはご先祖の菩提となるものがある
2.ご先祖を供養してあげたいという素直でやさしい心
3.神仏に手を合わせる心、すなわち信仰心がある

この三つの要素が一つでも欠けると先祖供養は、まず届かないと思っていただいて結構です。
先祖供養とは、届かなければ意味が無いのです。例えば、普段恩義に感じている方に心の中で
ありがたいと思っていてもその気持ちを表現しなければ相手の方に届かないのと同じことです。
よく、ご先祖の事はいつも心で思っていますという方はいますが、ハッキリ申し上げて
思わないよりましという程度です。そして、あの世でのご先祖の状態が不思議と今生きている子孫に
繁栄します。ご先祖が苦しんでいるのに、その子孫だけがこの世を楽しく謳歌することは不可能なのです。
自分が満たされた生活を送りたいのであれば、まずご先祖や水子の霊を満たしてあげることが重要です。
それが出来なければ、自分の生活を向上することをあきらめなければなりません。
しかし、先祖供養は決して難しいことではないのです。そのキッカケとなる人やお寺等に出会うことさえ
出来れば自然とそういう気持ちは湧き上がってきます。繰り返しいいますが先祖供養は、やっているという
自己満足では通らないのです。そして、通れば必ずいい結果が現れてきます。先祖供養について
お聞きになりたいことがあればいつでも、お寺をお尋ねください。 合掌

先祖供養と信仰は違う
皆さんご存知だろうか、先祖供養と信仰は違うのだ。なので、先祖供養は信仰ではない。
先祖供養に信仰を持ち込むので実は、おかしくなっている。ご先祖を供養するということは、
遠く離れた母親に電話の一本もするとか、おじいちゃん、おばあちゃんに自分の働いた給料の中から
時には、暖かい肌着などをプレゼントするとか、また近況などの話をしてあげる。といった具合に
接する事をご先祖にもやってあげてもらいたい。要するに心をご先祖に運ぶ、決してご先祖に
お願いをしてはいけない。そうでなくてもご先祖は貴方のことを、そっと見守りいつも
フラフラになって守ってくれている。そういうご先祖に必死にお願いをするとご先祖さんは更に
フラフラになるのだ。一方信仰とは、自分が気持ちよく手を合わせることが出来る神仏と
めぐり合い自分の願いを届けたり、その神仏のために出来る限りのお参りをして喜んで頂くこと、
その結果自分の願いが成就する、そして大事なのはここだが、自分の願いが成就したからといって
足を運ぶことをやめることは死ぬまでありえない。神仏のおかげで願いが成就した場合は、どんな事が
あっても不義理をしてはいけない。それが、信仰である。 合掌